訃報:イーディ・ゴーメ

キャロル・キングのfacebookで知ったのですけど歌手の イーディ・ゴーメ (Eydie Gorme)さんが8/10(土)に無くなられたとの事。

Popular singer Eydie Gorme dies at 84
http://mainichi.jp/english/english/features/news/20130811p2g00m0et029000c.html

Eydie Gorme, a popular nightclub and television singer as a solo act and as a team with her husband, Steve Lawrence, has died. She was 84.
Gorme, who also had a huge solo hit in 1963 with "Blame it on the Bossa Nova," died Saturday at Sunrise Hospital in Las Vegas following a brief, undisclosed illness, said her publicist, Howard Bragman.

この方は意外とブリル・ビルディング系には意外と関係があるのでその辺から少し。

記事にもある「恋はボサノヴァ」はシンシア・ワイルとバリー・マンの曲で元々はボビー・ランデルに書いた曲です。あんまりボサノヴァっぽくない感じなんですけどね。

イーディの旦那スティーブ・ローレンスがゴフィン&キングの「ゴー・アウェイ・リトル・ガール」をヒットさせてたり、ニール・セダカが彼女のいとこだという事もあってブリル・ビルディング系のソングライターとは縁が深い。

アルドン・ミュージックのドン・カーシュナーとも仲が良くてマン&ワイルの他にもゴフィン&キングやジャック・ケラーなんかからも曲の提供を受けてたらしいですね。勿論その以前にはコール・ポーターとかの大御所の曲も歌ってましたけど。

ブリル・ビルディング系でボサノヴァと言うとバード・バカラックが浮かぶんですけど「恋はボサノヴァ」はバカラックほどのものではなくて普通にポップスなんです。マン&ワイルだからまぁそうなるなあなと。

享年84歳。大往生って言っていいのではないかと思います。
ご冥福をお祈りします。

Crystals "Da Doo Ron Ron"

作曲はブリル・ビルディング・サウンドのエリー・グリニッチとジェフ・バリー。プロデューサーがフィル・スペクター。このトリオで作った最初の曲がこれですね。そんでもってドラマーはハル・ブレイン。レーベルはフィル・スペクターとレスター・シルが作ったフィレス・レコードからで63年に発売されています。

大瀧詠一君は天然色』のイントロでこの音を再現するめ吉川忠英さんのアコースティックギターを何回も重ねて録音してフィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドを作ってます。聴き比べてみて下さい。
http://youtu.be/j0RFUq5e1JU

この曲はもともとバーバラ・アルストンとダーアレン・ラブのボーカルで録音されましたが、フィル・スペクターが若い人向けにと当時15歳だったラ・ラ・ブルックスのボーカルで取り直して発売しています。バーバラ・アルストンとダーアレン・ラブのボーカルは大人っぽいからとの理由らしいです。

タイトルの"Da Doo Ron Ron"ですが、もともと歌詞を後で入れるためにエリー・グリニッチがDa Doo Ron Ron〜"としていたのをフィル・スペクターが気に入ってそのまま歌わせ、タイトルにまでしてしまったんだそうです。当時はこういう事はまあ普通にあったみたいです。

エリー・グリニッチとジェフ・バリーは夫婦のソングライターチームでブリルビルディング時代には多いパターンですね。バリー・マン&シンシア・ワリルとかキャロル・キング&ジェリー・ゴフィンとか。ちょっと時代はずれますけどバート・バカラックキャロル・ベイヤー・セイガーとか。マン&ワイル以外、みんな離婚しちゃってますけどね。

上記の夫婦の殆どがアルドン・ミュージックですがエリー・グリニッチ&ジェフ・バリーはトリオ・ミュージックです。あぁバート・バカラックもフェイマス・ミィージックか。

この曲の邦題が『ハイ・ロン・ロン』なんだけどなんでなんだろう?

マンハッタン・トランスファー "Boy From New York City"

この曲はマンハッタン・トランスファーの1981年のアルバム"Mecca for Moderns"のA面2曲目。レーベルはアトランティックで、キャピトルでデビューした彼らをアトランティックのアーメット・アーティガンが見初めてそれ以降はアトランティックからレコードを出す事になります。

オリジナルはアドリブス。アドリブス・バーションはブルーキャット・レコードから発売されていてこのレーベルはリーバー&ストーラーが作ったレッドバード・レコードのサブレーベルですね。だからアドリブスの"Boy From New York City"のプロデュースもリーバー&ストーラーがやってます。

リーバー&ストーラーとアトランティックの関係はほんとに深くて長い話なので今回はレッドバードとの因縁をちょこっとだけ。

アドリブスがヒットを飛ばした頃、リーバー&ストーラーはレッドバード・レコードをアトランティックに売ろうとします。この頃レッドバードはイケイケでアトランティックは一番元気が無かった時期です。でもこれはオーナー&ファウンダーであるアーメット・アーティガンがこの買収を乗っ取りだと思って激怒し実現はしなかったんですけどね。

結局あてが外れたリーバー&ストーラーは会社の権利をただ同然で共同経営者のジョージ・ゴールドナーに売って手を引いてしまいます。すでにレッドバードはマフィアに乗っ取られたも同然だったのからです。

またアーティガンとリーバー&ストーラーの関係もこれで破綻してしまったそうです。リーバー&ストーラーにとってアトランティックもアーティガンも特別な存在だったはずですから悲しいですね。

そのリーバー&ストーラーが手がけた"Boy From New York City"をアーティガンが引っ張ってきたマンハッタン・トランスファーが歌って大ヒットしたってのはなんか因縁を感じます。多少の印税はリーバー&ストーラーも貰ってるはずですしね。

ちなみに"Boy From New York City"のアンサーソング"The Girl from New York City"をビーチボーイズが歌ってます。

モンキーズとドン・カーシュナー

モンキーズはスクリーン・ジェムズ/アルドン・ミュージックのドン・カーシュナーがビートルズに対抗するために「作った」バンドですが、メンバーのマイク・ネスミスがカーシュナーの支配に耐えられなくなってクーデターを起こすんですね。で、このクーデターは結局モンキーズが勝ち、カーシュナーの負けになるんです。

モンキーズはカーシュナーによって作られたバンドですが、彼らの音楽を作ったのはカーシュナーではありませんでした。ガーシュナーが作ったレコード会社であるアルドン・ミュージックのソングライター達がモンキーズの音楽(特に初期の音楽)を作ったのです。例えばプロデュースは(まだひよっこだったもののアルドンの)トミー・ボイス&ボビー・ハートだったし、楽曲提供はジェリー・ゴフィン&キャロル・キング、ニール・ダイアモンド、ジャック・ケラー、バリー・マン&シンシア・ウェイル、ジェフ・バリーニール・セダカと言ったアルドンの黄金時代を飾る面々でした。

この様にモンキーズは音楽的にはドン・カーシュナーが支配していたもののテレビへの出演等のメディアへの露出はレコード会社であるコロンビア/スクリーン・ジェムズのボブ・ラフェルソンとモンキーズTVシリーズと撮ったバート・シュナイダーという二人がやっていました。ドン・カーシュナーもコロンビア/スクリーン・ジェムズの副社長でしたからクーデターは社内政治の陰謀だと思った様でその後裁判になっています。

ちなみにモンキーズがクーデターを起こしたときモンキーズを育てたボイス&ハートはカーシュナーではなくモンキーズ(というかマイク・ネスミス?)側についたそうです。ミュージシャン志望だったボイス&ハートがなぜマイク・ネスミス以外にソングライティングも演奏も出来ないモンキーズを支持したかが分からないんですけど、さらに不思議なのはレコード会社(ボブ・ラフェルソンやバート・シュナイダー)がクーデターを企てたモンキーズを支持した事です。(ボイス&ハートは後にミッキー・ドレンツとデイビー・ジョーンズと共にニュー・モンキーズを結成していますから彼らは音楽的にモンキーズを認めていたのかも知れません)

ガーシュナーが抜けたあとモンキーズの楽曲提供やプロディースからアルドンのソングライター達も抜けていき、それに伴ってモンキーズの人気も落ちていくんですが、レコード会社がなんでそんな単純な事も分からずモンキーズを残してガーシュナーを切ったのかと思う訳です。ガーシュナーはスクリーン・ジェムズでも稼ぎ頭の取締役だったそうですから会社が自分でなくモンキーズを支持するのを「これは社内政治の陰謀だ!」と思うのも分かる気がします。

モンキーズはこの様に人気を落としていく訳ですが、モンキーズに楽曲を提供していたニール・ダイヤモンドはこれを機会にシンガー・ソングライターとして成功していく訳ですね。

これはニール・ダイヤモンドがソングライティングをし、元アルドンのジェフ・バリーがプロデュースをした"A Little Bit Me, A Little Bit You" (1967年)です。

この曲はバックトラックをニューヨークで録って、カーシュナーがボーカルのデイビー・ジョーンズだけニューヨークに呼んでレコードにした曲です。これ自体は問題なかったのですがこのシングルのB面はモンキーズのオリジナルを入れる約束だったんです。でもカーシュナーは約束を無視してジェフ・バリーの「シー・ハングズ・アウト」にしてシングルを発売してしまうんです。ジェフ・バリーはアルドン・ミュージックのソングライターでしたからまぁ自分の子どもに印税のお小遣いをあげたいという気持ちもあったようです。

しかしこれにモンキーズのマイク・ネスミスが激怒してクーデターに繋がるわけですね。モンキーズのクーデターの話はまた今度(ちゃんと調べて)書こうと思います。

フランキー・ライモン & ザ・ティーンエイジャーズ ”Why Do Fools Fall In Love”

ソングライターはフランキー・ライモンとモリス・レビィー。といってもモリス・レビィーが作詞作曲にからんでいるわけではなくて、元々はフランキー・ライモン、ハーマン・サンティアゴ、ジョージ・ゴールドナーのクレジットでした。

ジョージ・ゴールドナーは”Why Do Fools Fall In Love”を発売したGee Recordのオーナーだったんですが、ギャンブル好きで借金の方にGee Recordをモリス・レビィーに乗っ取られてしまうんです。そのときにクレジットの権利も併せてレビィーに売ってしまいます。(サンティアゴのクレジットがなぜ消えたか不明)

モリス・レビィーはマフィアと繋がっていたんでまぁ断れなかったんでしょう。モリスは伝説のDJアラン・フリードのマネージャーでしたがアラン・フリードがペイオラ事件で失脚してもモリスは全く無傷でした。多分これもマフィアのおかげなんでしょうね。

こう書くとモリス・レビィーは酷い奴でジョージ・ゴールドナーとは犬猿の仲なのかと思うんですが、リーバー&ストーラーがレッドバード・レコードを作るときにコールドナーを紹介したのもモリス・レビィーだし(レッドバード・レコードはゴールドナーの借金のせいでこれまたマフィアに乗っ取られますが)、ジョージ・ゴールドナーが1970年に心臓発作で死んだ後、彼の未亡人に対して1年間給与を払ったという事です。昔気質のヤクザって感じなのかもしれません。

この曲が出来たときフランキー・ライモンはなんど13歳。活躍は18歳までで結局25歳のときにヘロイン中毒で死んでしまうんですけどね。

ちなみに山下達郎さんが『ON THE STREET CORNER 3』でカバーしてますね。