モンキーズとドン・カーシュナー

モンキーズはスクリーン・ジェムズ/アルドン・ミュージックのドン・カーシュナーがビートルズに対抗するために「作った」バンドですが、メンバーのマイク・ネスミスがカーシュナーの支配に耐えられなくなってクーデターを起こすんですね。で、このクーデターは結局モンキーズが勝ち、カーシュナーの負けになるんです。

モンキーズはカーシュナーによって作られたバンドですが、彼らの音楽を作ったのはカーシュナーではありませんでした。ガーシュナーが作ったレコード会社であるアルドン・ミュージックのソングライター達がモンキーズの音楽(特に初期の音楽)を作ったのです。例えばプロデュースは(まだひよっこだったもののアルドンの)トミー・ボイス&ボビー・ハートだったし、楽曲提供はジェリー・ゴフィン&キャロル・キング、ニール・ダイアモンド、ジャック・ケラー、バリー・マン&シンシア・ウェイル、ジェフ・バリーニール・セダカと言ったアルドンの黄金時代を飾る面々でした。

この様にモンキーズは音楽的にはドン・カーシュナーが支配していたもののテレビへの出演等のメディアへの露出はレコード会社であるコロンビア/スクリーン・ジェムズのボブ・ラフェルソンとモンキーズTVシリーズと撮ったバート・シュナイダーという二人がやっていました。ドン・カーシュナーもコロンビア/スクリーン・ジェムズの副社長でしたからクーデターは社内政治の陰謀だと思った様でその後裁判になっています。

ちなみにモンキーズがクーデターを起こしたときモンキーズを育てたボイス&ハートはカーシュナーではなくモンキーズ(というかマイク・ネスミス?)側についたそうです。ミュージシャン志望だったボイス&ハートがなぜマイク・ネスミス以外にソングライティングも演奏も出来ないモンキーズを支持したかが分からないんですけど、さらに不思議なのはレコード会社(ボブ・ラフェルソンやバート・シュナイダー)がクーデターを企てたモンキーズを支持した事です。(ボイス&ハートは後にミッキー・ドレンツとデイビー・ジョーンズと共にニュー・モンキーズを結成していますから彼らは音楽的にモンキーズを認めていたのかも知れません)

ガーシュナーが抜けたあとモンキーズの楽曲提供やプロディースからアルドンのソングライター達も抜けていき、それに伴ってモンキーズの人気も落ちていくんですが、レコード会社がなんでそんな単純な事も分からずモンキーズを残してガーシュナーを切ったのかと思う訳です。ガーシュナーはスクリーン・ジェムズでも稼ぎ頭の取締役だったそうですから会社が自分でなくモンキーズを支持するのを「これは社内政治の陰謀だ!」と思うのも分かる気がします。

モンキーズはこの様に人気を落としていく訳ですが、モンキーズに楽曲を提供していたニール・ダイヤモンドはこれを機会にシンガー・ソングライターとして成功していく訳ですね。

これはニール・ダイヤモンドがソングライティングをし、元アルドンのジェフ・バリーがプロデュースをした"A Little Bit Me, A Little Bit You" (1967年)です。

この曲はバックトラックをニューヨークで録って、カーシュナーがボーカルのデイビー・ジョーンズだけニューヨークに呼んでレコードにした曲です。これ自体は問題なかったのですがこのシングルのB面はモンキーズのオリジナルを入れる約束だったんです。でもカーシュナーは約束を無視してジェフ・バリーの「シー・ハングズ・アウト」にしてシングルを発売してしまうんです。ジェフ・バリーはアルドン・ミュージックのソングライターでしたからまぁ自分の子どもに印税のお小遣いをあげたいという気持ちもあったようです。

しかしこれにモンキーズのマイク・ネスミスが激怒してクーデターに繋がるわけですね。モンキーズのクーデターの話はまた今度(ちゃんと調べて)書こうと思います。